日本でも古代より赤に強い執着心があったと言われています。当時自然界のすべてのものが神によって創造され、またその神から作られた草木には霊が宿っていると信じられていました。それゆえに霊の宿る薬草が病気の悪霊を取り除くと信じられていたので、衣類等の染料として使われているものは、すべて薬草から選ばれていました。
飛鳥・奈良時代の赤は「紅殻」という酸化鉄を主成分としたものが用いられ、額の中央や唇の両端に一種の飾りとしての役割を果たす化粧をしています。その延長線として指先を染めたと言われていますが、これはアクセサリーに近いものだったと言われています。
平安時代
遊女が宮廷の婦人のような装いをすることで、上流階級のものだった化粧が下層階級まで広がりました。ホウセンカ(鳳仙花)とホオズキの葉を揉み合わせて爪を赤く染める「爪紅(つまくれない)」も行われていました。ホウセンカを別名として「ツマクレナイ」と呼ぶのは、カラーポリッシュのように、花で爪に色をつけた事からきています。
紅花を使った染料技術が中国から渡来し、化粧にも利用されます。同時に爪にも紅を塗ったので「爪紅(つまべに)」と呼ばれました。
また、この時代の文献には、赤いホウセンカの花弁とミョウバンを用いて爪を塗る。と、記されています。染料なので水に落ちる事なく長く楽しめたようです。
近代日本
明治時代には、フランスからマニキュア技術が伝えられ、「魔爪術(まそうじゅつ)」として発達していきます。70年代後半には、美容業界にアメリカからネイルの技術と商品が導入されると同時に、マニキュアリストやネイルサロンが出現し始め、徐々にネイルブームが巻き起こります。
当時のスカルプチュアネイルは歯科用のレジンに近く、硬度がありすぎて柔軟性に欠け、薄く作ると割れやすいものでした。しかし、それ以前のものがモノマーとポリマーを容器に入れウッドスティックで混ぜる使い方であったのに比べて筆積み法でつくられている方法は今のスカルプチュアネイルにつながっているものです。
現代
1985年に日本ネイリスト協会が設立され、協会設立時に作った造語「ネイリスト」が、マニキュアリストを指す言葉として日本では定着しました。
1990年代にはネイル専門誌が次々と発刊され、ネイルブームが起きました。
そして、ネイルケアの重要性が見直され、1997年にはネイリスト技能検定がスタート。
ネイリストに必要な技術を習得した証として認知されるようになります。
また、2000年頃に起きたジェルネイルブームなども拍車をかけ、ネイルサロンが身近なものになり、ネイリストは職業として社会的に安定していきます。
2006年には日本ネイリスト協会がNPO(特定非営利活動)法人化して新たなスタートを切ります。2008年にはそれまでネイリスト協会が実施していた検定試験事業を継承し、検定試験の運営と資格認証を専門に行う機関として一般財団法人、日本ネイリスト検定試験センターが設立。2012年に同センターは、内閣総理大臣認定の公益財団法人となり、ネイリスト技能検定試験は内閣総理大臣が認めた検定試験センターが認証する資格となりました。
2014年には、総務省が管轄する日本標準産業分類の改定にあたって、「ネイルサービス業」が独立した一つの産業と認められ、新設されました。
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