☆世界のネイル史

今回はネイルの歴史についてをご紹介します!

まずはマニキュアの語源について、皆様ご存知でしょうか?

日本においてマニキュアとは、一般的に爪に塗るネイルエナメルの事と、ネイルの技術の両方を指しています。

ラテン語の『マヌス』(manus=手)と、『キュア』(cure=手入れ)からきた言葉で、本来「手の手入れ」という意味です。同時にペディキュアは『ペディス』(pedis=足)と『キュア』が変化したもので、「足の手入れ」を指します。


古代エジプト時代

赤を好み、男女ともマニキュアを行う

ネイルに色を施すという歴史は紀元前3000年(日本でいう縄文時代中期〜後期)以前から営まれていたと言われています。ネイルの技術というよりは手、顔、体などに彩色を施す化粧のひとつとして爪に色を施すことがスタートしたと思われます。

特に赤は神聖な色として尊ばれ、植物のヘンナの花の汁を用いて爪を染める風習がありました。

第6王朝の頃には爪の清潔を保つ為のマニキュアを男女共に行っていた記録が残っています。


爪の色彩の始まり、爪の色が身分を表す

化粧(爪の彩色)には呪術的な意味合いも大きく、その彩色がミイラの爪に残っていたことや、古墳の死骸近くの土やその人骨が赤く染まって発見された事から、朱(水銀朱)は、防腐剤としての効果があるという事を知っていたのではないかと思われます。

事実、古代において復活と再生、来世での霊魂の存在を信じ、身分の高い人達の遺骨を保存するべく、ミイラの爪にも朱の色を施していました。また、その為の薬品や化粧品が作られ、発達を見る事ができたと言われています。

古代エジプト時代にはスキンケアのような美容術やヘアカラー等もあり、美容に関してはそこからギリシャ・ローマ時代へと伝えられていきます。当時は爪の色が身分を表し、王と王妃は濃い赤、その他は薄い色しか認められなかったといわれています。


ギリシャ・ローマ時代

上流階級の中では、マヌスキュアという言葉が生まれ流行していきます。

この時代では、エーゲ海に臨むギリシャが、もともと世界で最初の文化が発生したと言われるオリエント文明と早くから海上貿易を行っていた事から、その文明の影響を受けてエーゲ文明が生まれました。当時のギリシャの女性には控えめな生活が望まれ、健康的な美を理想とし、人工的な美を好まなかったといわれています。そんな背景から手入れとしてのマニキュアが流行したことが理解できます。

中世・ルネッサンス時代芸術や文化が発達したこの時期、舞台芸術が化粧の文化を高めました。

オペラの起源であるバレエが創作され、キャラクターを演じる上で演出としての化粧の表現とともに、指先の演出が生まれます。そして中世ヨーロッパの時代はハンマムという美容院でクリームを用いて爪の手入れをしていたようです。


近代・19世紀

19世紀の欧米では一般女性にも身だしなみのひとつとしてマニキュアが浸透し始め、

蜜蝋や油等を研磨材としてセーム皮で磨くなど、ナチュラルなネイルの美しさが人気となり、職業としてマニキュアリストが登場します。

さらに、ネイルの道具(マニキュア箱)なども販売されますが、非常に高価でまだ庶民にはとても身近なものとは言えませんでした。


20世紀

1923年、自動車の塗装料として速乾性のラッカーが開発され、その副産物として1932年にネイルラッカーが発売されます。これが現在のポリッシュの誕生となります。1970年代には、ハリウッドの特殊メイクアップチームによって歯科材料であるレジンを使ったネイルイクステンションが大ブレイクしてネイルサロンに広まり、現在に至っています。



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NailSensei

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